私って誰

そして、

ここで終わると、ついつい。

 

「外側に投影するために、今に在ろう」なんて思いがちですよね。。。

 

もともと今に在るのが本来の私たちなのに、

思考が本当の私と思い込んだために、

時間軸無くしては存在できない偽物の私として生きてることがほとんどです。

 

でも、時間も今しかない。

過去の出来事は今に影響されない。

 

この間私は道端でそれに気づいて、「え、じゃあこの今いる私って誰?」ってなったんです。

 

そのときから、自我幻マンさんの話も、腑に落ちながら…読み返したりしてました。

 

話は戻りまして、

「内側が外側に投影されるって知ったぞ!

じゃあ、外側に投影されるために、今に在ろう( ̄∇ ̄)」

と、なってしまうところに罠があります。

 

今に在ろうとするのは、自我です。

 

どこまでいっても、ヒョイっと顔を出すんで、それに気付けるか、ですね。

 

(気づいた私も自我〜と、永遠ループしますが、自我に気づいた私は、まず思考に縛られてないですから、苦しみも、喜びも、何もないです。)

 

もともと何もしなくても、平穏はあったんですね。

 

しかし、これに気づいた後も、思考と一体になってしまうことは多々あります(;ω;)

 

こればかりは、努力…しなきゃいけないことですね。

 

でも、本来の立場に戻る作業ですから、努力しない方がツライです。

 

努力って言い方が変かもしれないですが、とりあえずメモ書きということで終わります。

今とは

今書きながら思ったが、

今見ている現実は、過去の投影であることがわかる。

 

今この瞬間とは、内側のことだ。

 

知らんさんの表現で言えば、過去の作品を否定しないで、受け入れることがやはり大事。

 

内側が今なのだから、まっさらなキャンバスに向かい、望む作品を書こう、ということだ。

 

(;ω;)やっとわかってきたぁぁ…

目の前の「それ」

心の内で平和があれば、

それと100%一致する現実が来るのだ。(来ざるを得ない)

また、それすらオマケに過ぎない。

 

外に求めるのではなくて、内から創り出すこと。

 

心の内の平和は、「今」体験している目の前の「それ」と共に在るだけで、自然ともたらされるのではないか。

 

私たちが体験している世界(目の前のそれ)は私たち自身である。

 

他人を愛することは、

自分を愛することだったのだ。(逆も然り)

本当の願い

潜在意識の達人(?)のスレを見ても、頭で考えるあまりやはり混乱してしまっていた…。

 

でも、

世界は完璧に

私の内側の感じる通りの

現実を与えてくれていたのだ!!

 

私(自我)以上に世界は

私のことを知っている。

(もちろん世界=私だから)

 

だって、もし自我が

「100万円あったら幸せになれるんだ、100万円持ってる私になろう、意図しよう、イメージしよう、ワクワクするんだ」

と思っても、実際求めてるのは100万円手にした後の感情だったりする。

自我の求めてる表面的な願いは鵜呑みにすべきでないことがわかる。

 

願望の根っこを知れば…ともよく言われるが、知ったところで、どうしたらいいのかわからなくなってしまうので、願望の根っこを知ってどうこうというのは、置いておく。

不安定な自我

私は思考の言うことが信じられなくなっていたので、特定の細かい願望も持てず、無気力に陥っていた。

 

なので、ちゃんと願望のある人が少し羨ましかった。

 

私(自我)が死んで欲しかった。

消えないこともわかっていたけど、

本当の私っていう自我がでてきてずっとループ。すごいキツイ。

 

↑自我を消そうとしたことで、キツくなった例(笑)

 

「私っていう個人が大きな世界の中で生きる」のではなく、

 

「世界としてただ在ることで、

(自分から見てる)世界を拡大(創造)していく」

 

ということ。

現実は無視という話

「内側がホント。現実は無視」

もよく聞いたけど、これはなんだか寂しさを感じる。

 

無視するということは、不満があるということだ。

 

不満な現実があるならあるで、認めればいいところを、現実逃避するように思えてしまうのが、言葉の難しさだなぁ。

 

「現実は無視」は、「現実にいちゃもんつける思考を気にしない」程度に思った方が良さそうな。

 

⚠︎ただ、もちろん思考はあっていいものだし、見て見ぬ振りする必要もないと思う。消えないしね…。

言葉の難しさ

エックハルトトールさんの「パワーオブナウ」のはじめの方に書いてあった物乞いの話が腑に落ちる。

 

(お金を求むる物乞いの座っている箱の中に、金があったという話で、金を発見するきっかけとなる「その箱を開けてみては?」と言った通行人の役目を、エックハルトトールさんはしているのだと言っている)

 

物乞いが座っている箱の中に金があったように、私たちの中に、求めているものは全てある、ということを気づかせるためのツール(本)だったのだ。

 

言葉って難しい。

 

しかし、前の記事で書いたレビューが今まで調べてきたことを総括してくれたように思う。

 

自愛のスレはあんまり読んだことないけど、有名な(?)isaさんは、

「内側で叶えているから現実は気にならない」

みたいなことを言っていたそうな。

 

これは、今だから腑に落ちるが、ただ聞いてるだけじゃ「ただ思い込むってこと?」となりがちだよなぁ。